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タグ社会派
Q.クラスの子がからかい文句で「発達なんじゃねえの?」と言うのが嫌。当事者から見ると余計に。
この記事の担当 ウ・サギ

Q.クラスの男子たちが、からかい文句で「発達なんじゃねえの?」みたいなことをよく言うのがとても嫌。
当事者から見ると余計に。(私はADHD不注意型、弟も自閉症です)
これは私たちが我慢すべきこと?

A.「発達障がい」という言葉だけが広がって、適切な理解をする機会が不足しているので、そういったことが起こっているのでしょうね…。嫌な気持ちになって当然ですし、当事者が我慢すべきことじゃなく、大人がきちんと対応すべきことだとウ・サギは思います。
適切な理解とは何か?というと、それはそれで色々な考え方がありますが、
・人にはそれぞれ、目に見えない違いがたくさんある(感情にどれくらい気づくか、刺激への反応しやすさ、耳で聞くのが得意か目で読む方が得意か…)
・世の中ではまだその違いが十分に知られていなくて、一部の人がとても苦しんだり、学ぶチャンスを逃したりしている(本当は、感情を言葉で教えてあげればわかるかもしれない、刺激を減らせば落ち着いて取り組めるかもしれない、合った勉強法をすれば理解できるかもしれない…)
・だからそうやって苦しむ人がいないように、目に見えない違いがあるかもしれないと想像しながら人と関わって、必要な配慮があったらお互いにしていこう
みたいな考え方が広まってほしいとウ・サギは思っています。
そして実は、発達障がいと言われるもの以外にも目に見えない違いはたくさんありますし(たとえば感情だってそれぞれ違います)、「目に見えない何かの違いで、今もしかしたらすれ違ったり、余計に苦しんでいるかも」と想像して丁寧にコミュニケーションをとっていく世界は、誰にとっても安心な世界なのではないか…?とウ・サギは考えています。

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update 2025/5/26
Q.人間の本来の寿命は55歳くらいだと聞いた。それに抗ってまで長生きするのは良いことなのだろうか?
この記事の担当 ウ・サギ

Q.人間の本来の寿命は55歳くらいだと聞きました。それが現代では、医療の発展によって80歳くらいまでは生きられるようになったと。でも、本来の寿命に抗ってまで長生きするのは、肉体的には可能だとしても、良いことなんでしょうか?

A.本来というものの定義は諸説ありそうですが、現代の生活で(過度な肉体の酷使なく、栄養バランスが最低限とれた食事をとり、歯磨きなどをちゃんとして…)、手術などの高度な医療を使わない場合、寿命が55歳くらいということでしょうか。
長生き=良いこと、では全然ないとウ・サギは思います。でも「これをすればまだ生きられる」という方法があるのに、それを選ばないというのは、当人が望んでも、周りの人にとって心の負担になる場合がありそうだとは感じました。良くも悪くも、医療に限らず私たちは本来とか自然とかからは遠ざかってしまっているので、合意がとれる(誰かの心が深く傷つかない)あり方が、しいていうなら「良いこと」になるのかなとウ・サギは思います。
だから人や状況によって、抗わない方がベターな選択になるときもあれば、抗う方がベターな選択になるときもある、というのがウ・サギの考えです。

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update 2025/5/25
Q.年を取ることを恐れる人がいるのはなぜですか?
この記事の担当 ウ・サギ

Q.年を取ることを恐れる人がいるのはなぜですか?アンチエイジングとか、若々しいことが素敵なんだ!みたいな風潮が強すぎる気がします。世間がそんなのだと、僕まで年を取るのが怖くなってきました。

A.確かに、なぜなのでしょうね…。昔から不老不死への憧れを抱く人はいたっぽいので、時代だけでなく何かあるのだとは思いますが、年を取ることを恐れる気持ちを流行させることで売れる商品がある、儲かる人がいるという構造が今はあるので、そういったことは影響しているように思います。また、年を取るだけに限らず、人間は変化というものを恐れる傾向がある(変化を恐れないタイプの人もいますが)というのもありそうです。
あとは、今の世の中は頼るのはよくないみたいな風潮があったり、単純に信頼できる相手がいない人もいると思うので、もし介護が必要になった場合の生活が前向きにイメージできない、という要素もあったりするのかもしれません。
人間は何かと不安を感じやすい生き物だし、年を取るのを恐れるのもおかしくはないのでしょうが、それにしても風潮が強すぎるというのは同意です。

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update 2025/5/25
Q.どうして見た目で得したり損したりするの?
この記事の担当 生きかたカエル

Q.どうして見た目で得したり損したりするの?そして見た目で損をしてしまう場合は、どうすればその不利益を避けられる?

A.見た目を過剰に重視する人が多いからでしょうね。カエルとしては何が損か得かは人によってかなり違うと思うのですが、不利益を回避する方法としては
①見た目を重視する人や情報を避ける
②自分の中の損や得の基準を変えてみる
という具合に、環境を変える方法(①)と、自分の中の価値を変える方法(②)があるかと思います。カエルは第三の方法として、世の中の価値観を変えるという方法を模索中です。よかったら、一緒に世の中を変えましょう。

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update 2025/5/25
Q.自由が怖い、嫌い、疲れた。誰かに支配されたい。そう思うのはだめなことですか。
この記事の担当 ウ・サギ

Q.自由が怖い、嫌い、疲れた。誰かに支配されたい。そう思うのはだめなことですか。

A.全然だめじゃないと思いますよ。なんなら、生きづLABOでも、やみーペンは「自由は好きじゃない」と言っています。
そして昔は実際に支配されにいってもいた気がしますが、今は自分をほどよく洗脳してくれて、自分を傷つけてこないものを選んで、流されているようなイメージがあります。
「支配されたい」という意識ではなくても、「流されてる方が楽」とか「決めてほしい」という人は実は結構多い(むしろたぶん多数派)とウ・サギは感じています。
あと、あなたのいう自由とはもしかしたら話は違うかもですが、ウ・サギ的には今の時代は「個人の自由でなんでも選べます」みたいな雰囲気があるだけで、実際のところはフラットな選択肢は少ない(例えば、家から出るのが簡単じゃない、学校に行かないとプレッシャーや不利益がある、フルタイムで働くという形じゃないと生活が難しい、空気を読まないと攻撃される、死にたいと言いづらい…etc)と感じます。だから「怖い、嫌い、疲れた」という感情はすごく自然な反応に感じましたし、それはあなたの意識の中では「自由」を対象にした思考として暴れてたとしても、その奥には経験や感覚や、言葉にできない思いの集合体があるイメージを抱きました。(ウ・サギは、思考は基本的に感情や感覚の後付けで生まれるものなのでは?と考えています)
だからどんな思いもだめじゃないし、論の是非ではなく、どうしてそういう思いになったのかを語れることが大切なのだとウ・サギは感じています。

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update 2025/5/25
Q.「身近な人の自殺のサインに気付こう」という言葉をどう思われますか? 
この記事の担当 ウ・サギ

Q.「身近な人の自殺のサインに気付こう」という言葉をどう思われますか? 
私の経験上、希死念慮が他人からは想像以上に見えていないと痛感しています。だから簡単には気付けなくて当然で、逆にそれが明らかに見て分かる頃では支援が間に合わない気がします…

A.ウ・サギは、死にたい気持ちは「生きる負担>生きる楽しみ・価値」という状態があって、生まれるものだと思っています。もし死にたい気持ちを感じていない人でも、同じく「生きる負担>生きる楽しみ・価値」になっている場合が少なくないと感じますし、自殺を止めたいと思うなら、そういった世の中(家庭、学校、仕事・・・生きる負担があまりに多いと思います)を変えるのが、一番のやるべきことだと考えています。だから、誰かが自殺という行動に至るところでやっと「自殺のサインに気づく」ことを重要視されても、なんだかなあ、とウ・サギは思ってしまいます。亡くなってしまったら生き返ることはないので、気づくことも勿論大切だとは思いますが…。
ちょっとあなたの話からズレたことを語ってすみません。ウ・サギも、人や場合によりますが、希死念慮も自殺のサインも周りから全然見えないことはあると感じます。というかそもそも、人がどんな感情でいるか、どんな考えをもっているかは、周りには(時に自分にだって)なかなか見えないものだと思います。だから自殺のサインに限らず、感じていることを言える関係をつくることがポイントだと感じますし、そのためには常日頃から、ネガティブな気持ちを否定しない、頑張りや完璧を求めない、良い悪いの評価をしないなど、「この人になら言っても大丈夫だ」と思ってもらえるような振る舞いや生き方をするのが大切だと思っています。

update 2025/5/21
Q.お母さんはよく私と兄たちを比べる
この記事の担当 ウ・サギ

Q.社会人の兄と姉は2歳差でずっと一緒だった。私と兄たちは最低でも10歳差で家には私1人。お母さんはよく私と兄たちを比べるけれど、2人と1人は違くない…??って思う。

A.2人と1人は違いますし、1人と1人だって、人間はそれぞれに違います。だから比べられるものではないと思いますし、立場の強い側(親)が弱い側(子ども)を堂々と比較してそれを言葉にしてしまうなら、それはちょっとキケンなことだとウ・サギは感じています。自分の価値が、何か特定の能力や資質、行動によって決まってしまうような不安を、子どもに植え付けてしまうかもしれないからです。
あなたについては、違くない…??と思えているようなので、比較に負けていないとちょっと安心もしましたが、比べられるのは何かしらイヤな気持ちのするものだろうと想像しています。それにしても、なぜ人間界ではここまで比較が流行してしまったのでしょうね……

update 2025/5/15
Q.バイリンガルの人も、自分の母国語を完璧に話せるべきだと思いますか?
この記事の担当 ウ・サギ

Q.バイリンガルの人も、自分の母国語を完璧に話せるべきだと思いますか?

A.いえ、そんなことは全然ないと思います。
世の中では、いろんな人が「こうするべき」「こうしたほうがいい」と勝手に、これが正しい意見みたいな顔までして言ってくることがありますが、物事にはいろんな見方、考え方があるので、基本的に自分の考えを採用していいとウ・サギは感じます。
ちなみにウ・サギの意見としても、バイリンガルが自分の母国語を完璧に話す必要があるとは感じません。もし自分自身が完璧に話したくなったら勉強するのもいいと思いますが、そもそも言葉のニュアンスは個々に違いがあるので、日本語が完璧に話せたって意思疎通できないこともたくさんありますからね・・・。大切なのは、言葉を完璧に話せるかとは別のところにあるとウ・サギは考えます。

update 2025/5/14
Q.無職の人や居場所がない子=頑張らないやつなのか?親の意見は何か違うと思い意見を聞きにきた。
この記事の担当 ウ・サギ

Q.リストカットしている人を見て親は、「こんなん自己アピールだ」とか、居場所がない人には「社会が居場所作ってんのに入ろうとしないだけだ」とか。何か違うなと思い、意見を聞きにきました。無職の人や居場所がない子供=頑張らないやつなのでしょうか?

A.親の意見にはウ・サギも「何か違うな」、いや「とても違うな」に一票です。
そんな意見は困っちゃうなあといくらでも文句は出てくるのですが、おかしいポイントをウ・サギなりに挙げてみると、
①そもそも他人のことを勝手に決めつけるのはいつでもマナー違反
②人間の感情も行動も周りとの関係性の中で起こることだから、「本人のせい」という考え方はあまりに一面的
③自己アピールだとしても、それは否定されるべきことではない
④何を根拠に言っているかは謎だが、社会に居場所があるとは思えない(居場所があれば、死にたいと感じている人がこんなに多くないはず)

ちょっと難しい言葉を使うと、無職や居場所がない人=頑張らないやつ(”その個人”の努力不足)という考え方を「個人モデル」といいます。反対に、何か困りごとがあるとき、それは社会の構造が引き起こしていることという考え方を「社会モデル」といいます。個人モデルでは、解決のための努力をするべきは個人。社会モデルでは、解決の努力をするのは社会(といっても社会は人間の集合体なので、一人ひとりが社会の問題に目を向けて解決を目指していく)となります。
ウ・サギは(生きづLABOは)社会モデルの考え方をしています。あなたがどんな意見や考え方をもつかは勿論自由ですが、自分の「何か違うな」には大切な気持ちが隠れていることが多いとウ・サギは思うので、そのフィーリングをこれからもぜひ尊重していってほしいです。

update 2025/5/13
Q.幸せを感じることもあるのに何となく憂鬱になり生きていくことをぷつっと終わらせたくなる時がある
この記事の担当 ウ・サギ

Q.何となく憂鬱になる時があります。生きていくことをぷつっと終わらせたくなります。幸せを感じることも楽しいこともあるのに、そんな気分になる時があって、どうしたらいいのか分からなくなります。

A.幸せを感じることも楽しいこともあるのに、生きるのをぷつっと終わらせたくなる…なるほどです。悩みを一般化する(誰でもそんなもんだよと言う)つもりはないのですが、実は同じような人も少なくないのではないか?とウ・サギは思いました。
なぜなら、この複雑な社会で生きていくのは、なかなか面倒で大変なことだからです。楽しいことがあっても、なんとなくのプレッシャーを感じたり、気を張っていることや努力していることも同じか同じ以上に降り積もっていることが、案外ある気がするのです。だから憂鬱になるのは、ふと気が抜けたときに起こる現象かも…?とも思いました。
ウ・サギは「社会的公正を目指すんだ!」とアドレナリンを出して、疲労や負の感情を誤魔化してる部分があるので、ちょっと凹むことがあるとすんっと死にたくなる時があります。そういうときは天気が良くなるのを待つみたいに、現実逃避しながら気分の回復を待ちますが、ああ死にたいなあ、生きるって疲れるなあ、と浸る時間も、一番自然体な自分な気もしていて、それはそれで大事だとも感じています。

update 2025/5/13