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タグ社会派
Q.障害者だから仕事につけなかったり収入が低いのは仕方ないことなんですか?
この記事の担当 生きかたカエル

Q.障害者だから仕事につけなかったり収入が低いのは仕方ないことなんですか?

A.障がい者だから~という考え方はカエルとしてはあまりしたくはないです。
もしもカエルが誰かに「カエルだから、はける靴がないのは仕方ないよね」と言われるととても嫌な気持ちになります。なぜなら、カエルと言っても、それぞれ違うからです。そもそも、カエルがみんな靴をはきたいと思っているわけでもないですし、はける靴があるカエルもいれば、そうじゃないカエルもいます。ただし、相対的に見て、人間よりもはける靴は少ない(まぁめったにお目にかかれません)ことは確かです。でも、それをもって「カエルは〇〇だから、仕方ない」と周囲に決められるのは違うような気がします。
それと同じように、「障がい者」といっても、一人ひとり違って、働くことに対してもそれぞれだと思います。それを、「障がい者だから」というまとめ方をすることには、(社会に向けて)異議を唱えたいです。

そして、次なる論点は「仕事につけない、収入が低い」という部分です。
カエルは「仕事に就く」ことと「収入が高い低い」は本来は別のことだと思っています。しかし、今の日本社会(人間界)が資本主義を採用していることから、仕事をすることと、収入を得ることがほぼ同義で扱われてしまい、しかも、収入が高い=立派な仕事をしていると勘違いしている節があります。
その勘違いが、「障がい者は仕事ができない、収入が低くて社会的地位が低く扱われている」という理解を生み出しているように思います。
本来の「働く」ことはお金以上の価値を生み出すことがあります(代表的なものとして、家事や子育て・介護、社会活動など)。また、労働をしなくても存在そのものが価値を生み出すことも当たり前にあります。資本主義の影響力が強いために、人間界がお金にだけ特別な高い価値があると思ってしまうのではなく、お金と並行してお金以外のものの価値をもう少し可視化したり、分かち合うような文化や仕組みができたら、障がい者だから…だけではなく、他の〇〇だから…仕方ないというまとめ方をせずに、大切なことを語り合えるような社会になるだろうとカエルは思っています。

さらには、そうした資本主義の中で金銭を稼ぐことがどうしても難しい人のためにどういう仕組みがあるのがいいかは別に考えていく必要はあると思っています。
カエルは現金じゃなく、住むところ(水道光熱費付き)と食べるものは現物で保障したらいいのにとかねがね思っています。その人なりの「働き(広い意味での)」に対して生活保障してくれたら、生活のために心身をすり減らして働かなければならないということはなくなると思うのです。(この辺は長くなるので、次の機会にとっておきます)

update 2025/2/27
Q.自分をわざわざ追い詰めるような考えをしてしまう なんなんだろう
この記事の担当 ウ・サギ

Q.自分をわざわざ追い詰めるような考えをしてしまう
なんなんだろう

A.考えをして「しまう」と表現されていたように、自分自身の意思ではなく「そうなってしまう」ものなのだろうとウ・サギは思いました。

どのような考え方をするかは、時代や環境にかなり左右されるものだとウ・サギは感じています。
質問者さんの考えがどのようなものかわかりませんが、自分を追い詰めるような考えは、物事の責任や過失を自分に求めすぎる、努力や結果のプレッシャーをかける、周りの反応を気にしすぎてしまう、などかなと想像しています。
今の世の中は「自己責任論」や「競争主義・能力主義」という、個人の努力を過剰に求める考え方や、「集団・同調主義」とでもいえるような、周りにどう思われるかを重視する在り方が流行しているとウ・サギは思います。そして、私たちは知らず知らずに、または身近な人から直接的に、それを取り込んでると感じています。

もちろん、それだけが全てではないと思いますが、自分を追い詰めるような考え方をしてしまうのは、自分を追い詰めるような考え方が流行しているせいだ、という要素は大いにあるとウ・サギは思います。
なぜそんな流行がおこってしまったのか、どうしたら過剰なそれらから抜けられるのか・・・みんなで考えていきたいところです。

update 2025/2/27
Q.中学までが義務教育なのに、なんで高校大学に行かないと就ける職業が減って給料も良くないの?
この記事の担当 ウ・サギ

Q.中学校までが義務教育なんでしょ?なんで高校まで、大学まで行かないと就ける職業が減って、給料も良くないの?だって、中学までの内容が生きていくのに最低限度なんでしょ?だったら、もっと教育を皆が受けられる期間を長くすればいいじゃん。

A.教育と職業との関係性は、もっと議論と改良の余地があるし、変えるべきだとウ・サギも思います。
あまりウ・サギも詳しくはないのですが、外国のそのあたりの仕組みを色々見てみると興味深いです。どこかでは、大学はそもそも基本が「一回社会人になってから入るところ」で「入るのは簡単だけど卒業するのは大変」というものになっていると聞いたことがあります。あとまた別の国では、中学校くらいまでは共通のプログラムで、それ以降は手を使う方の職業にいくか、頭を使う方の職業にいくかで、全然別の学ぶ内容になる、というのも聞きました。(どちらもうろ覚えなので、違ったらすみません)
どのような制度にするのがいいのか、ぜひ一緒に考えましょう。

update 2025/2/19
Q.努力しても結果が出なくて病む。でも努力して結果を出したい。どうすればいいか。
この記事の担当 生きかたカエル

Q.努力してもなかなか結果が出なくて病みます。結果が出ないと投げやりになってしまいます。でも、今の自分が受け入れづらいので、努力して結果を出したいと思っています。どうすればよいでしょうか。

A.結果とは何か?カエルは考え込んでしまいました…
カエルは結果より断然プロセスを大切にしたい派なので、プロセスを大切にしたい派に勧誘したいと思います。流派が変われば、大いに認められることが増えますけど、一度、体験してみませんか。

update 2025/2/19
Q.安楽死についてどう思いますか。
この記事の担当 ウ・サギ

Q.安楽死についてどう思いますか。
海外では認められているところもありますね。
でも、色々問題があるなと思いました。
安楽死はいいのか
家族が反対した場合どうするのか
誰でもいいのか(末期がん患者などに限定するのか)
難しいですね。

A.安楽死については、いくつか、かなり議論しないといけないポイントがあると思っています。
まず、安楽死は、このまま生きていてもよい見込みがない(と感じる)ときに魅力的に見えてくる選択肢だと思うのですが、その「よい見込みがない」の判断について、支援があれば変えられる(緩和できる)ものではないのか?というのは、絶対に欠かしてはならない視点だと思っています。
適切な社会のあり方やサポートがあれば緩和したり乗り切れるかもしれない苦痛を、安楽死という形で解決させてしまうなら、それは弱者は淘汰される世界になるとウ・サギは感じるので、そういった運用になってしまうなら安楽死には反対です。ただ、今は弱肉強食のような社会になってしまっている部分もあるので、「それならせめて安楽死させてください」という気持ちは自然なものだし、その叫びには真摯に向き合うべきと考えます。
まだまだ語ろうと思えば延々と語れそうなのですが、「安楽死を求めている人がいる」という現実について、安楽死を導入するとかしない以前に、何が起こっていて何が必要なのかをしっかり考えていきたい・・・と、日本での安楽死議論については思っています。
もっとフラットに、今の社会問題抜きに安楽死を考えるなら、最後は死なれてしまう側(周囲の人)の気持ちとの兼ね合いになってくるのかなと思っています。

update 2025/2/19
Q.自殺対策に関わる仕事がしたいけど覚悟が決まりません。みなさんはどんな思いで活動されていますか?
この記事の担当 生きかたカエル

Q.自殺対策に関わる仕事がしたいけれど、終わりのない泥沼に入っていくことになるのではないかと怖くて、覚悟が決まりません。みなさんはどのような思いで活動していますか?

A.カエルはそもそも泥沼で暮らしているので、泥沼はわりと居心地がいいです。しかも、覚悟なんて考えないうちに、気づいたら、ここにいます。
それよりも、質問者がなぜ自殺対策に関わる仕事がしたいのか、知りたくなっているカエルです。覚悟はせずとも、願いや思いを頼りに漂っていると、行きつくところに行くのかもしれません。それが、結果として泥沼だとしても、かえって息がしやすいときがあるものです。

update 2025/2/16
Q.みんな何が楽しくて毎日生きてるのでしょうか。
この記事の担当 ウ・サギ

Q.みんな何が楽しくて毎日生きてるのでしょうか。毎日家と学校を往復で精一杯てふとなんのためにこんなに頑張っているのだろう、みんな何が楽しくて生きているのだろうと考えてしまいます。いっそのこと死んでしまってもいいのではと考えてしまいます。

A.ウ・サギ調べでは、何かが楽しいというよりは、何も考えずに毎日生きている、というのが近いかと思っています。あとは、あまり頑張ってなかったり、ちょっとずるく生きているから、毎日何となく生きられるのもあると思っています。
生きることには希望がある、前向きに生きようキャンペーンみたいなものが社会にあるとも感じるので、そのキャンペーンにちょっと流されてるのもあるかもしれません。
だから「みんな何が楽しくて生きているんだろう」と疑問を抱くのは、あなたが真面目に生きようとしていて、世間に流されないタイプである、ということを示しているようにも思いました。
そう考えていくと、生きるために一番大事なのは、実はほどほどに「頑張らない」が出来るようになる(頑張らなくても生きられる環境になる)ことなのかもしれないですね。

update 2025/2/15
Q.病気でも笑顔を忘れない人も、笑えなくなった子も、皆夢が叶う世の中になってほしいのに
この記事の担当 ウ・サギ

Q.病気でも笑顔を忘れない人。そういう人が、有名になって周りの力を借りて素敵な夢を叶えてる。でもさ、辛くて苦しくて死にたくて、病気で笑えなくなった子もいる。そういう人も、皆夢が叶う、笑える世の中になってほしいのに。今の世の中は理不尽に明るい、

A.「理不尽に明るい」というのは、的確で興味深い世の中評だと感じました。
ウ・サギは、夢があってもいいし、夢がなくてもいいし、夢が叶わなくても笑ってられるくらいのゆるい世の中を希望します。(と言いつつも、自分は何がなんでも夢を叶えたいウ・サギです)

update 2025/2/12
Q.学校に無理に行く必要がないってことは、学校に行って、途中で早退してもいいってことだよね?
この記事の担当 ウ・サギ

Q.学校に無理に行く必要がないってことは、学校に行って、途中で早退してもいいってことだよね?なんで一回学校の敷地に入ったら、授業が全て終わるまで出れないみたいな、檻に閉じ込めるの?ひどいよ

A.もちろん、途中で早退しても構わないと思います。
今の人間界はルールが形骸化して、「何のために」そのルールや仕組みがあるのかを忘れて、よくわからない縛りや制限があふれているように感じます。

学校の(大人の)目的は、子どもに安心・安全と、成長の機会を保障することだとウ・サギは思っています。
その目的を達成するために、学校に言ったら授業が全て終わるまで出れない、といった風潮は必要ないはずです。ただ、学校や先生だけに責任を押しつけてもダメで、もっと学校以外で学ぶ選択肢があったり、学校の授業のあり方が自由になるべきだと思っています。

update 2025/2/12
Q.なんで苦しんでまで働く必要があるわけ?
この記事の担当 生きかたカエル

Q.「働けない人って、どういう人だと思う?」『病気の人とか?』
、、、精神疾患で苦しんでる人のことは、考えてないんだろうな。そもそもなんで苦しんでまで働く必要があるわけ?

A.カエルは「働けない人」というのはいないと思っています。
どちらかというと、「働くチャンスをもらえない人」とか、「働く環境がすぐにはない人」ともいえるかもしれません。
カエルもそもそも、苦しんでまで働く必要はないと思いますし、「働く」=お金を稼ぐことともあまり思っていません。
こうして「働くこと」について考えて、疑問を投稿することも、カエル的には働くことだと思っています。自分たちの暮らす社会について考えて、自分なりにアクションを起こすことは「働く」ことにつながっていると思います。むしろ、与えられたことだけ考えもせず、こなすだけになるのならそれは「働く」のではなく、「こなす」「作業をする」ということになり、この量が増えると、社会は生きづらくなるというのがカエルのリサーチ結果であります。もっと、働くことについて考えていくのが大切だと思うのです。

update 2025/2/12